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80歳を越えた。身体が動かなくってきた。しかし思いは自由に羽ばたく。世界を駆け巡る。

8月は祈りの月

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太平洋戦争で私の大好きだった二人の叔父が亡くなった。

敗戦の色濃い戦争末期の沖縄、アメリカ軍の猛攻にさらされ降伏間近の日本軍が、上陸するアメリカ軍に向かって突撃したとされる。もちろん二人は別々の場所で亡くなった。遺骨は戻ってこなかった。

叔父の一人は父の弟で、満州から招集された。許嫁(いいなずけ)を残して。

もう一人は母の妹の夫で製材業をやっていた。生まれて数ヶ月の幼子と新妻を残して。

戦死した日はわからない。私は終戦の日を命日ときめて8月15日に祈りを捧げる。

 

終戦の日、私は小学校6年生だった。

青空に入道雲がむくむくと大きくなる暑い日だった。蝉の声があたりを包んでいた。

我が家のラジオに大人たちが耳を傾けていた。玉音放送だと後で知った。私は内容がわからず、大人から戦争に負けたと聞いた。

 

私は亡くなった叔父たちの数倍も生きてしまった。

連日、テレビがリオデジャネイロ・オリンピックで日本選手がメダルをとる大活躍を報道している。

私は選手の死に物狂いで活躍する姿を見て、椅子から立ち上がったり、涙したり、手が痛くなるほど拍手したりする。

歳のせいなのだろうか。

テレビの特別番組で出場選手たちの人知れぬ練習の厳しさを見て、深く感銘した。選手の並外れた努力と精進に、心から敬意を払う。

同時に自分の半生を振り返り、あの選手たちの努力との差を痛感する。ここまでやらなければメダルは取れない。今、悟っても遅すぎるが、あの選手たちの真摯な態度と比べれば、私が人生の落伍者になるのは当然だろう。愚かな生き方をしてきてしまった。

今たけなわの高校野球大会も、毎日見る。

純真でケレン味がなく惜しむことなく力いっぱいのプレーをする各校の選手たちの汗まみれ泥まみれの姿に、夢に富んでいた自分の高校時代を重ねあわせて応援している。

今はおそらく世界が歴史上最も平和で、人類が楽しんでいる時代なのだろう。もちろん、一部の地域で愚かな人間が起こすテロや戦争は続いているが。

 

振り返ると、8月にはいろいろなことが起こっている。

6日は広島に原子爆弾が落とされた日だ。むごいことに、8日には長崎にも原子爆弾が落とされた。

当時のアメリカ人は、日本人は人間ではないと蔑視していたのだろう。同じ敵国でも、ドイツには原爆は落とさなかった。

 

1985年8月12日は日航機が御巣鷹山へ墜落した。520人の方々が亡くなった。

 

誕生日が来ると、私は83歳になる。次の東京オリンピックは、果たして見ることができるか。

今年2月に片方の腎臓を摘出してから、健康に自信がなくなってきた。

この夏を精一杯楽しみたいのだが、体が思うように動いてくれない。

 車でもいいから、上高地に行きたい、白馬へも行きたい。もっと欲を出せば、親不知の海を再び訪れたい。などと一人思いにふける。

亡くなった方々への鎮魂の思いもさらに強くなる。

 

8月は私にとって祈りの月なのである。

 

追悼の8月

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 庭の百日紅

 

 私にとって悲しい8月が来て、去ろうとしている。
8月になると、小学生だった私を可愛がってくれた二人の叔父を偲ぶ。
一人の叔父は満州から招集され、許婚を東京に残して沖縄で戦死した。
もう一人の叔父は、乳飲み子と若い妻を残し、六本木の連隊から沖縄へ派遣され戦死した。
ふたりとも戦死の日にちはわかっていない。
私は8月15日の敗戦の日を、命日ときめて一人で祈る。

8月6日はアメリカが広島に原爆を投下し、十数万人が亡くなった。
そして8月9日、冷酷にも、長崎にも原爆を投下した。

8月15日。アメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席たち連合国からつきつけられたポツダム宣言(米、英、中三国共同宣言)を受諾して、無条件降伏した。

愚かな軍人たちによって起こされ、300万人を越える同胞を失い、東南アジアではそれにまさるとも劣らぬ数の外国の人々までも殺した戦争は、やっと終わった。

  今年は戦後70年目だからといって、テレビを始めメディアの数々が特集を組み、改めてその戦争の愚かさを反省している。

最近になって、アメリカ軍など連合軍が撮影した戦時中のフィルムを、テレビで見ることができるようになった。

沖縄、硫黄島、サイパン、フィリピンの諸島、ビルマアッツ島などなど。

全ては日本軍の惨敗の様子が詳細に撮られていた。

 虫けらのように海岸や、密林の中などで転がっている死体が、我々と同じ日本人だとは到底信じられない。私の叔父たちも、最後はあんな姿だったのだろうか。

 悲しさを通り越して、若者たちをこんな無残な姿にした軍部の指導者たちや、責任ある人間たちを憎み、足蹴にし、八つ裂きにしたい強い思いに駆られる。

 

 愚かな指導者を持つと、国民はこんな不幸なことになる。

 

甲子園での高校野球の決勝戦が終わり、入道雲とともに私の夏は去った。

 

 

 

 

お年を召していらっしゃるから、、、

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 5月も終わろうとしている。今年はまだシューマンの「麗しき5月に」を聴いていなかった。

気候が不順で、もう夏かと思うような日があるかと思えば、肌寒い雨が続いて、
いつもの年のような青葉薫る5月ではなかった。
毎年この時期になると聴いていたあの曲も忘れてしまった。

 

元気なときは、寒さで凍えていた心と身体を一気に開放するように、音楽でも本でもむさぼるように聴いたり、読んだりした。

 

 それができなくなってしまった。
歳をとるということは悲しいことだ。
数ヶ月くらい前から、たちくらみと、めまいに襲われるようになった。
どこの医者に行っても、原因はおろか療法もみつからない。

第一、病名が分からないんだからどうしようもない。
挙句の果ては、「お年を召していらっしゃいますから」で、終わりだ。

 

 そうなのだろう。加齢からくる病気だとは当人も承知している。
けれど、医者になった以上、患者の身になって治す努力をするのが使命だろう。

世間で耳にするように、金もうけに没頭する医者が増えてきてしまった。テレビで見たような「神の手」と称される名医もこの世に存在するのだろう。不幸なことには、私は一度もあったことがない。


ヒポクラテスの誓い」を拳拳服膺(けんけんふくよう)してもらいたいものだ。

 などと、悪態をついてうさを晴らす。 

 

鳥と一緒に暮らす家

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 今から10年くらい前のことです。我が家の南側2階の戸袋に、鳥が住みつきました。
鳥の名前はわかりませんが、かわいい雛も生まれ、親が餌を運ぶ姿もよく見られるようになりました。かわいそうなことには数年後に、コウモリの家族が強奪して自分の巣にしてしまいました。
我が家の雨戸の戸袋は金属製ではなく、設計者がコスト削減から建物と一体の戸袋にしたのです。
南側で日当たりもよく、通気も抜群で、こんなに快適なすみかはなかったでしょう。
小鳥なら鳴き声が気になる程度ですが、コウモリは色も形も気味悪いのと、虫が発生します。
永住してもらっては困るので、親子ともにお引取り願いました。

 その後、戸袋に鳥が巣を作ることはなく、数年間は平穏無事に過ぎました。が、なにしろ当時で築20年を過ぎていましたので、同じ南側の2階の部屋の雨戸やガラス窓の開閉がスムーズに行かなくなっ てきました。
 

 たまたまこの街の一級建築士と会う機会があり、相談しました。
彼は建具屋さんと現場を点検して、ひとこと「雨戸とガラス戸の枠全体がゆがんでいるから、滑らかに動かないんです」と言いました。
ショックでした。幸い家全体がゆがんでいるわけではないと知り、少し安心しましたが。
対策は?と聞くと、「雨戸とガラス戸を取り替えましょう」。

 

 見積の段階で、電動シャッターを強く薦められました。
彼は自宅で使っていて、経験から自信を持ってすすめると言います。窓のガラスは「ペアガラス」にしましょうと、明快でした。
モーター付きのアルミサッシとペアガラスで、断熱と遮音効果に優れているということもあり、それにしました。

 

 2013年7月、職人さんたちが入りました。
猛暑の毎日でした。モルタルの戸袋と壁を壊してみると、初代の住人だった鳥の巣がありました。藁のベッドが丁寧に作られていました。

 

 冬になって、初めて一級建築士の言ったことが正しかったと分かりました。電動シャッターを付けた寝室で、朝起きてシャッターを揚げるときに、内側のガラス戸を開ける必要がないからです。開けないので冷気が入って来ません。スイッチひと押しでシャッターが上がります。寒がりやの私にはとてもありがたいことです。

 

家も歳をとると具合が悪くなる

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 家も歳を取るとあちこち具合が悪くなってきます。人間と同じです。

初めての大掛かりな修繕は、台所でした。2008年5月のことでした。

羽アリが我が物顔に歩きまわり始めたのです。発生箇所がわからず、外の基礎周りに石油を掛けて、その場しのぎをしました。

以前に別の場所でこの方法でアリを退治したことがあったものですから。

しかし、その後もアリは出てきます。解決策は業者に頼むしかありません。

知人にお願いして、地元の業者を紹介してもらいました。

キッチンセットの下と壁側の床と壁をはがすと、えらいことになっていました。

基礎の上にある根太と、壁までシロアリに喰われていて、もとの形をとどめておらず、ぼろぼろでした。点検するのが遅すぎました。

原因は、永年の水道栓からの水漏れでした。

腕の良い職人さんたちのおかげで、すべての原因を取り除き、無事修繕が完了しました。

 

 シロアリ駆除業者のおじいさんが、自分がやってきた駆除作業の話をしてくれました。

東京芝の増上寺の山門がシロアリに喰われて、危険な状態になっていたのを修復し、薬剤駆除したこと。増上寺の正面に見える山門の柱がシロアリに喰われて、大げさにいうと宙に浮いている状態だったそうです。何しろ文化財ですし、荒っぽい仕事は出来ないし、復元と駆除作業は難航を極めたそうです。あそこの柱はその時に継ぎ足ししたものであることを、初めて知りました。

あるときは有名な宮家に呼ばれたそうです。その屋敷は江戸時代に建てられた広大なもので、ほとんど手がつけられないくらいシロアリの被害にあっていたそうです。その後、どうなったかは忘れました。また、有名人の家のシロアリ被害の様子などを、茶飲み話にしてくれました。

 

 我が家では、床下にもぐって、くまなく消毒してくれました。「30年は大丈夫だよ」と言ってくれました。人なつこいおじいさんでした。

 

4年目の3月11日

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 白浜海岸 宮城県石巻市
建設予定の防潮堤をかたどった木枠  吉岡忍氏の記事から拝借しました

 

大川小学校 自宅再建 仮設住宅に住む人の健康 原子力発電所 原発廃棄に向けて働く人達 防潮堤 漁業 嵩上げ工事 ふるさとへ帰れる日 

 

 4度目の3月11日が来ます。
上の単語は、被災地を考えるときに浮かんだことを書き並べました。

私がこの4年間に知った被災地の被害と復興状態の情報は、すべてテレビとインターネットと新聞からのものです。自分自身で被災地に足を運び、この眼と耳と肌で集めたものはひとつもありません。

それでも、この4年間、毎年この日を迎える頃になると、僭越ですが感想を書いてきました。

 

 被災地に住む人たちのことを書く資格は私にはないかも知れません。
いつも書くときに自問自答します。被災した人たちのその後の暮らしはどうなっているのだろうかと、心配するのは余計なことなのでしょうか。それよりも金銭や品物、それにボランティアなどの労力のほうが良いに決まっています。そう言われても、非難されてもかまいません。

 

 被災地の人々がどの程度まで、震災前の状態にもどることができたのでしょうか。

失ったかけがえのない命は、もう戻ってきません。このことについてはお慰めする言葉がありません。

 

 冒頭に並べた単語の数々の中のどれ一つとっても、満足に戻ったものはないことが、最近のテレビの報道で知りました。国の震災復興資金の6割がまだ使われていないことも。地元の自治体と国の出先機関は一所懸命やっているそうです。地元に行かないと分からない事情があるようです。

 仮設住宅で暮らしてもう4年近くが経って、小学生など幼い子どもたちの気持ちに大きな変化が現れていることもテレビで知りました。荒れた言動が強くなっているそうです。遊ぶ場所もなく、通う学校がそれぞれ違うことで、以前の友達がいなくなり、心はすさぶばかりなのでしょう。

 

 こうやって書いていても、ただ無力感に襲われます。

 

復興庁

http://www.reconstruction.go.jp/

 

気仙沼

https://www.youtube.com/watch?v=egjEIFP7Y-Q

 

復興予算、9兆円使われず 11―13年度、需要とズレ

朝日新聞デジタル 3月3日(火)17時43分配信

 東日本大震災の復興予算として国が2011~13年度に計上した総額約25兆円を会計検査院が調べたところ、13年度末現在で、少なくとも9兆円が使われていなかった。年度をまたぐ事業のためにつくった基金全体では、6割が使われていないことが判明。福島、宮城、岩手3県が主体の事業を初めて現地調査すると、被災地のニーズに事業が合っていない実態も浮かんだ。


 検査院の調査によると、11年度は復興予算として、928事業に約14兆8千億円が計上された。だが、東京電力福島第一原発事故放射性物質に汚染された土壌を除染する環境省の事業で、「汚染土の仮置き場をめぐり、地元と調整がつかなかった」として約2千億円の半分が残るなど、13年度末までに計約2兆3千億円が使われていなかった。

 12、13年度は計866事業に約10兆3千億円を計上したが、13年度末で約2兆7千億円が未消化だった。洋上風力発電を実用化する経済産業省の事業は、ボーリング調査で計画の見直しを迫られ、約375億円のほぼ全額を14年度に繰り越した。

朝日新聞社