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80歳を越えた。身体が動かなくってきた。しかし思いは自由に羽ばたく。世界を駆け巡る。

麗しの5月を迎えて

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モネ マルモッタン美術館


 5月になった。ハイネが「詩人の恋」に書いた「麗しき5月」がまたやってきました。齢を重ねても、春は心が踊ります。


 私にとっては今年の五月は特に明るく感じます。

それは心の問題ではありません。

白内障」の手術をして、視界が明るくなり、色彩が透明感を増し、眼に飛び込んでくるものすべてが変わりました。白内障だと云われてから少なくとも二十数年は経ちます。白内障になってから私が見てきたものは、いったい何だったのでしょう。


 たとえば、毎年、出張の時にハーグのマウリッツハイス美術館で見たフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の青はラピスラズリですが、あの青色を今見たらどんな青に見えるのでしょう。アムステルダムゴッホ美術館にあるゴッホの最晩年の作品「カラスの飛ぶ麦畑」の空の色は本当はどんなブルーなのでしょうか。ウルトラマリンブルーか、はたまた群青色と言って良いものなのか。

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オルセーで見た大好きな絵の色が、実は違っていたなんて、そんなことは私には受け入れられません。もう一度この目で確かめたい。それにはその絵の前に立つしかありません。


 年をとると、若い時に訪れた街をもう一度訪れたいというSentimental Journey(感傷旅行)への願いが強くなってきます。

手術した両眼はまだ安定していません。概ね経過良好と医者は言いますが、3ヶ月以上経たないと安定しないそうです。

今のふらつくような足取りと頭痛が残っている限り、一人での旅行は無理かもしれません。

 

タブレットの使用感

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 Xperia Tablet Z を買ってから、そろそろ一年が経ちます。
感想を書いてみます。
80歳で、視力がメガネをかけても0.5と0.6しかない老人の感想です。

私がタブレットを使うのは、次のようなときです。順序は使用頻度には関係ありません。

1) メール、FacebookGoogle+YouTube、ブログのチェック

2) Throwでタブレットにある写真をテレビで見る

3) BDレコーダーにある録画を見る

4) 放送中のテレビ番組を見る

5)  電子書籍を読む

6) 孫の写真や動画を見る

 


 まず使い勝手が良いと思った点。

茶の間でテレビを見ながら、ふとメールをチェックしたくなった時に、自室に行ってデスクトップPCの電源を入れるという面倒臭い作業が必要なくなりました。手元に置いてあるタブレットを手にとって見ることが多くなりました。私はノートPCは持っていません。BDレコーダーで録画した映画や番組を手元のタブレットで見るのはとても便利です。

 タブレット内の写真をThrowでテレビに写して楽しむことはよくします。テレビの大画面で見るほうがはるかに快適です。


 電子書籍を読むことが購入の動機でした。
が、今は頭痛がひどく、しかも視力が落ちて、昨年は読めた電子書籍も、今はほとんど読むことはできなくなりました。紙の書籍も同じ。来月予定の白内障の両眼手術に大いに期待しています。


 次は期待はずれだったこと。

私は画面からの文字入力(ソフトウエア・キーボード)が苦手で、文章を書く時に使いません。昨日、孫と帰ってきた娘と文字入力の話をしました。すると、娘はソフトキーボードは使わず、音声入力を使うといいます。やはり若くても、タブレットの文字入力を面倒に感じていることがわかりました。私も音声入力を積極的に使ってみようと思いましたが、人前で使うのは恥ずかしいですね。


 文字入力については、元マイクロソフト社長の成毛真氏は、パソコンに期待するのは文章作成の道具としての役割であり、「長文を打つにはパソコンが一番便利」と言っています。我が意を得たりです。


 タブレット本体で音楽を聴くことはしません。音が悪いからです。
私はそのためにカナルタイプの少し高価なイアフォンを買いました。
しかし、これもあまり快適ではありません。若い時はウオークマンで楽しんでいたのに、じいさんになって耳まで劣化してしまったようです。


 私はまだアプリそれぞれの機能を良く理解できていません。
そして、クラウドをもっと簡単に利用できないものでしょうか。使用方法については、私の理解が足りないのですけれど。

いつも手元で見たいファイルは、タブレットに移して置かなければならないのかなー。


 CPUがPC用のものに比べて遅いと思います。
タスクによっては一呼吸置かなければならない時があります。

使ってわかったことでですが、タブレットはシングルタスク専用機で、マルチタスクはできません。また、タブレットを持てば、PCが要らなくなるかもしれないという誤解をしていました。

 タブレットの評価はまだ定まっていません。
でも、教育の現場やプレゼンが必要な企業の営業部門などでは、すでに普及しているようです。

 世界中で多くの人が使うようになって、今やPCの売上を脅かすほどになってきたといいます。
この点について、再びMSの元社長である成毛真氏の言葉を引用させていただきます。

 

タブレットスマホがパソコンの需要を喰っているという指摘については賛同できません。両者は見た目はもちろん、使う目的も使う場所も全然違う。そもそもパソコンの市場はもはや飽和しており、買い替え需要しかない。そうなれば、出荷台数が前年を割り込むのは当然です。一方、iPadに代表されるタブレットは、パソコンをすでに持っている人も買っている。つまり、買い増し需要です。となると、現時点では国民のほとんどが販売対象となる。パソコンより売れているように見えるのは当たり前でしょう。」

 

 私が目指しているタブレットの使い方は、次に語られています。
NECパーソナルコンピュータ取締役執行役員常務であり、レノボ・ジャパン執行役員専務/NECレノボ・ジャパングループ コンシューマー事業統括の留目真伸(とどめ・まさのぶ)氏の話しから引用させていただきます。

 

スマートフォンタブレット、それからパソコンというコンピューターデバイスを連携させてつなげて使うというスタイルが本来あるべき姿ではないでしょうか。しかし、日本ではスマートフォンタブレット共に、いち早く勢いを失っています。本来ならもっと普及してよいはずなのです。まだまだ、マルチデバイスを使いこなすというライフスタイルは定着していないし、普及もしていないのではないでしょうか。メーカーとしては、パソコン単体の進化というより、マルチデバイス環境をいかに簡単に楽しんでいただくかが鍵になると思います。」


 私は外で使う機会がないから、もっぱらお茶の間専用です。 
画面の美しさは満足です。私の写真と動画のほとんどは孫のものです。写真を見るときはおもむろに机に向かってPCで見ることは無くなり、手に持ったタブレットで見る機会の方が多くなりました。画像はプリントした写真などよりずっときれいだと思います。

 画面いっぱいに大きく写った孫の顔を見ると、間近で話しているような気持ちになれるじゃありませんか。

可愛いいですよ!

 

もう3年がたってしまった

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 リンク: 【東日本大震災】3.11〜あの日を忘れない〜【閲覧注意】the Great East Japan E - YouTube.

もう3年がたってしまいました。

たとえ百万言を費やしても、これらの映像を超えることはできません。
いのちを失った人々、その家族、そして、ふるさとに帰れない人々。悲しさと、虚しさと、脱力感と、この3年、我々はなにをしてあげられたのでしょうか。

Lisbonの思い出

https://www.youtube.com/watch?v=5HC7UDLmAnM

 1966年。British European Airways(BEA)からロンドンの本社に招待されました。
BEA本社でのブリーフィングのあと、ヒースロー空港にある整備、運航などの現場や、当時最新鋭のジェットエンジンの開発整備センターなどを見学し、用意されたThe Savoyに泊まりました。

当時の5つ星ホテルの外観は、戦時中の爆撃の影響で薄汚れていました。しかし従業員のサービスは敗戦国から来た我々一行5人を、アメリカなど戦勝国仲間の客と区別することなく、暖かく手厚くもてなしてくれました。

見学が終わったあとBEAの路線から好きな都市を選び、そこまでのファーストクラスの往復チケットとホテル(限度以上の料金は自己負担)を用意してくれるという。誠に至れり尽くせりの歓待でした。
私はリスボンを選びました。


リスボンのホテルは、Hotel Ritz
にしました
国営の
このホテルは市内を一望できる丘の上にありました。
スイートルームは、貧しい国には不似合いの豪華なものでした。
朝食は部屋のバルコニーで摂り、昼は英語のガイド付きの観光バスで名所めぐりをし、ヨーロッパ大陸最西端の岬まで行きました。
途中では漁村に立ち寄り、とれたてのイワシを焼いて食べました。観光地、シントラ、カスケイスなどを訪ねました。ワインは、どこでも
フラスコで供されました。

夜の観光は、薄暗い酒場で聴いたファドでした。

 

BEA1974年、BOACと合併し、後にBritish Airwaysとなる。

 

Les Feuilles Mortes_Yves Montand a l´Olympia - YouTube

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リンク: Les Feuilles Mortes_Yves Montand a l´Olympia - YouTube.

1968年11月。ル・ブールジェ空港に降り立った。

生まれて初めてのパリ。

空はどんよりと曇り、今にも雪が降りそうだ。

戦争の傷跡は、いたるところに残る。

シティターミナルはアンヴァリッドだった。

ド・ゴール空港はまだない。(1974年開港)

 

オルセー美術館はできておらず、駅舎の姿のまま。

ノートルダム大聖堂の壁面は黒く汚れ、ここも戦時中の雰囲気が濃厚に残っていた。

 

ポケットの中には、僅かなドルしかない。

当時、国外への持ち出しが許されたドルは500ドル。

闇ドルも買えなかったから、私は哀れな旅行者だった。

 

忘れもしない、そんな気持ちにピッタリの歌がこれだ。

 

Tony Bennett - 'I left My Heart in San Francisco' (HQ Audio) - YouTube

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リンク: https://www.youtube.com/watch?v=SC73kdOL5hk

 1992年2月。雪の積もるシアトルからサンフランシスコに飛んだ。
そこは桜が咲く、別世界だった。

 ここで老後を過ごせたら、どんなに素晴らしいことか。
夢を見ているような4泊5日だった。

 

Bill Evans



ビル・エバンス。ジャズ界の知的代表。このスコット・ラファロとの共演は本多俊夫さんの解説で初めて聴いた。
下のアルバム


Bill Evans/Scott LaFaro/Paul Motian. Waltz for Debby [Take 2]. 1961. - YouTube