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80歳を越えた。身体が動かなくってきた。しかし思いは自由に羽ばたく。世界を駆け巡る。

あれから一年

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  ブログに投稿した最後の日は、昨年の11月だった。
それから4ヶ月が過ぎてしまった。頭痛に悩まされて、多くの医者に診てもらったが、だれひとり治すことは愚か、原因さえもわからなかった。目の疲れも一因かなと思い、PCを見る時間を極力少なくしたりしてみたが、なにも変わらない。

 

 その間に3月11日が来た。テレビであの日の被災地の映像を再び見た。

残酷で、無慈悲で、容赦しない津波の被害に、打ちのめされた。

そして、被災者の今に思いを馳せた。

海水に呑まれて、今も行方がわからない人たち。がれきから見つかった幼い命。 流されて何もないがれきだけの土地で、祈り、たたずむ人々。

 

   被災者をカメラで一年間追い続けた記録を見た。
体一つで避難している人々には、将来に希望を持てない絶望感が覆っていた。 流されて何もない商店街のひとたちが、手を携えて再建に立ち上がる姿。 地域全体を津波のこない高台に移転して、全く新しい村を起こすために、奮闘する人々。 多くの反対者を説得しながら、また、国の復興基金をあてにできない現実にも負けず、活動を続ける若者たち。 予算は国会を通っても、復興庁と称する役所の煩雑な手続きと、役人の非情が壁になり、再建と復興は遅々として進まない。すべての被災者に公平に行き渡らない援助の手。支給されるべきお金は、予算の半分にも達していないという。

  

 一方で、一年経っても、その手を止めないボランティアの若者たちがいる。

  地震の被害に追い打ちをかけるように襲ってくる原発放射能。それに対する根本的な対策は、なんにも取られていないように、私には見える。原子力安全会議の無力な学者連中。爆発の時点で、手を引くと言い出した腰抜けで愚かな東電社長。

政府を始めとする日本の巨大な組織のすべてが、全く機能しない現実をつきつけられた。それは今でも続く。 国会は、あいも変わらず議員たちが私利私欲に走りまわるだけ。税金を浪費し、国家百年の計を論ずることはない。品性のかけらも無い。見ているだけで、同じ日本人であることが恥ずかしい。これらの議員に投票した選挙民は、自分の愚かさと、重い責任を痛感すべきだ。  東京の繁華街でのインタビューに答える若者は、被災者のことを考えると憂鬱になるから、考えないことにしていると言い放った。  それでも日本は動いている。誰かが黙々と動かしている。その人達は、決して声をあげない。

 

   我が家の猫の額ほどの庭に、杏の花が開いた。
愚かな人間を無視するかのように。自然はただ黙々とその活動を続けている。日本の国土に、花々がいっせいに咲く日は近い。 春は確かな足取りで近づいている。