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80歳を越えた。身体が動かなくってきた。しかし思いは自由に羽ばたく。世界を駆け巡る。

読書の喜びが再び

 

 読書の楽しみから離れて久しい。

視力が落ちて、細かい字が見えなくなってきた。
天眼鏡を使えば読めないことはないが、片手に持ちながら読書をすることは苦手だ。
脳梗塞の後遺症で左手に力が入らないから、すぐ疲れてしまう。

パソコンも、字を大きくしないと見えない。
まもなく傘寿になろうとする老体には、さまざまな予期しないことが起きる。

2月に予約していたタブレットが4月12日に届いた。
このキカイを予約すると同時に、書棚の隅に眠ったままになっていた文庫本など50冊を、とりあえず業者に頼んで電子化しておいた。


 電子化した書籍を読むのは初めてではない。もう十年以上も前になると思うが、「青空文庫」が発表されて、すぐ読んでみた。当時はタブレットなどというキカイはまだこの世に無かったから、デスクトップPCで見ることになる。しかし、机の前に座って数時間モニターを見ることは苦痛だった。毎日続くはずがない。青空文庫を見ていた時には、天眼鏡を使わなかったことを思い出した。


 iPadが出たときには、電子書籍を見るのにとても便利だと思った。しかし、私の天邪鬼(あまのじゃく)の性格が、唯々諾々と買わせなかった。

それよりはるか前に、ソニーが「Reader」という電子書籍用の端末をアメリカで発売していた。銀座のソニーストアで手にしたが、白黒画面でとても見やすく食指が動いたが、残念ながら、肝心の読みたい本が電子化されていなかったので買わなかった。この商品でもソニーは世界ではじめて開発しながら、世界標準とはならない失敗を犯した。


 待つこと久しく、ようやく自分好みの国産品が発売になった。このキカイの使い勝手は別の稿にゆずる。

電子化した本は、読んだその時をまざまざと蘇らせてくれる。過去のブログで香水に触れたが、本も、音楽も同じだ。若いころ感銘を受けた本は、年をとってから読み返すと、新たな発見がある。


 私の蔵書の中には、著者から贈られた署名入りのものがある。私の敬愛してやまない亡き本多俊夫さんの「体験的 モダンジャズ入門」をタブレットの画面で見た時には、思わず、胸が熱くなった。ジャズ評論家で、NHKのFM放送とテレビの音楽番組を持っていた。著作も数多い。私とはまったく別世界の人と、どうして親しくなれたのか。

外国旅行も一緒にした。ヨーロッパのあるホテルでは、バーが閉まる時間まで飲み、部屋に行ってからミニバーのウイスキーやジンなど飲み尽くしてしまったこともあった。
クラシックに固まっていた私に、ジャズの面白さと深さを教えてくれた。来日したアメリカのジャズプレイヤーに会わせてくれた。忘れられないのは、ベニーグッドマン、ベニー・ゴルソン秋吉敏子、などなど。

夢のような話だが、この話だけでも原稿用紙数十枚になるだろう。業界の権威でありながら、尊大なところは微塵もない。私のようないいかげんな人間とも心を開いて親しく付き合ってくれた。私はその優しさが大好きだった。


 私が定年後に、友人の勧めで読み始めた山田風太郎の著作の数々がある。その中の「あと千回の晩飯」を、届いたばかりのタブレットで読み始めて、今は没頭している。とにかく面白い。私が、ようやく書かれている内容を理解できる年令になったからか。風太郎氏も今はもういない。


 私がまだ多感で正義感に燃えていた頃に買って、むさぼり読んだハルバースタムの「ベスト・アンド・ブライテスト」もある。ベトナム戦争を起こした責任者を糾弾するアメリカの良心の書だ。

タブレットは、自分の書架になった。


 堀田善衛さんの「スペイン断章」をはじめ、シリーズを文庫で持っていたのも電子化した。何故堀田さんと「さん」をつけるか。この人とも面識があったからだ。静かで大海のような人柄だった。


 いまの私には、ほとんどの書籍は文字が小さくて読めない。私には持病の頭痛があるが、細かい字を読んでいると、症状がひどくなる。それが、タブレットのお陰で読めるようになった。読書の喜びが帰ってきた。


 ここで書きたかったのは、書評ではない。タブレットの感想でもない。
本が読めるようになった喜びだ。