8月15日は敗戦の日
昨日は「敗戦の日」でした。
多数の国民を犠牲にして無条件降伏し、やっと終わった太平洋戦争のことを考えない年はありません。
戦争を知らない世代が多数を占める時代になってきた、と強く感じたのが、この日を報じるテレビの特集でした。
それは8月15日が何の日かという問いに、視聴者の答えを世代別にまとめていました。
20/30代の人たちの25%が知っていて、残り75%が知らない。年齢が上がるほど理解している人の割合は増えますが、40代50代でもほぼ半数が知らないと答えていました。中でもその戦争の相手(敵)は何処の国かという問いには、中国とか韓国という答えがありました。
また、その戦争の味方は何処の国かという問いには、アメリカと答えた青年がいました。
この番組を作ったTV局の意図的な編集方針もあるでしょう。そして69年もの歳月がそうさせたのかもしれません。
とはいえ、戦争があったことを知らない若い人たちが多いことに、驚きと悲しみがない混ぜになりました。
昨夜のテレビで、三輪明宏が「愚かな人たちに重要な判断を任せると、先の大戦のような悲惨な事になる」という趣旨のことを話していました。私は思わず膝を叩きました。
私の世代(昭和8年生まれ)には憲法九条を守ろうと地道に日常活動を続けている人がいます。その人は地域で「九条を守る会」を主宰し、彼が発行する啓蒙紙を定期的にインターネットで届けてくれます。草の根の地味な活動がいかに大切なことか。労多くして報われることの少ない活動です。頭が下がります。
何よりも事実を忘れないように伝え続けていくことが私の世代の責任だと、あらためて思いました。
今の政治家のほとんどは戦争を体験していません。
父や叔父や、息子や兄弟を戦争で殺された人たちの悲嘆を知りません。空襲で焼け出されたり、爆撃で大勢の家族を失った人たちの悲しみと絶望感は知るよしもありません。食べ物がなくてひもじい思いをするとはどんなことか。知らないでしょう。
やがて選挙の日がやってきます。
愚かな政治家は愚かな選挙民が選ぶ。