生まれて初めて買ったパソコン
私は1993年10月に定年退社した。
会社にいた時に使っていたPCの便利さと、なんとなく感じていたPCの向こう側にある無限の可能性に惹かれて、定年後も家で使いたいと強く願っていた。
会社の私のデスクにあったPCは東芝のDOS/Vマシンだった。
その頃の主流であった平べったい矩形のケースの上にモニターが載っている当時の典型的なスタイル。
自分用に買うならもっと処理の早いCPUをのせたものが欲しくなった。
折から、牛のマークで有名なアメリカのGateway2000の最先端マシンの輸入が始まった。日本での宣伝も毎日のように目につくようになっていた。その高性能が雑誌等で紹介されるようにもなった。
日本の商社も代理店に名乗りをあげるところがでてきたり、並行輸入をする業者も現れ始めて、身近な存在に感じられるようになってきた。
そこで私の輸入業者選びが始まる。
一流商社からの見積と、並行輸入業者の見積を取り寄せ、じっくりと比較することから始めた。
時間をかけて最終的に決めたのは「テラバイツ」いう個人の並行輸入業者だった。
そこの見積書は次のとおり。
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TERRA BYTES-EXE Corporation 1994/09/19
P5-100は未発表のため、下記仕様は推定です。
P5-100 ¥379,500.-
Intel 100MHz Pentium CPU
Tower Case
256KB SRAM Cache
16MB DRAM
3.5" Diskette Drive
Double speed CD-ROM Drive
1GB Hard Disk Drive
PCI Local Bus Video w/2MB VRAM
4 ISA, 2PCI & I PCI/ISA slots
1 parallel port / 2 serial ports
124-key Anykey programable keyboard
16-bit sound card and speakers
MS-DOS 6.21 & Windows for Workgroups
MS Mouse & Gateway Mouse Pad
MS Office Pro 4.3 on CD
送料 ¥2,000.- 消費税 ¥11,445.- 合計 ¥392,945.-
振込金額は¥392,945.-です。お振り込み先は下記の銀行口座です。
XX銀行 飯田橋支店 店番号XXX 口座番号XXXXXXX(普通預金)
口座名義 有限会社 エクゼコーポレーション
テラバイツ 問い合わせ電話番号 XXXX-XX-xxxx FAX番号 XXXX-XX-XXXX
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モニターは SONY GDM-17SE1T 正価 ¥218,000.-
これをステップという通販の会社から ¥123,085.- で購入。
プリンターはCanon LBP730)約16万円。
Gateway マシンンは注文してから3か月後に届いた。
1994年12月のことだった。
今考えると、家で使うPCに当時の最高のスペックを 持ったマシンを買うなんて、なんと愚かなことをしたものかと、自己嫌悪に襲われる。
PCのことを知らないで、高スペックだけを求めるとこういうことになる、という見本だった。
マシンに比べて、インターネット接続環境は、はなはだ貧しいものだった。
若い人に話すと、それなに?といわれるISDNだった。通称「いんす」。
わが町のNTTの技術者は3人でやってきて、Gateway2000を見るなり、「これって、サーバーじゃないですか」とのたまった。
Gatewayマシンはそれほど図体が大きかったのだ。
NTTの技術屋にとっては 見たこともないマシンだったに違いない。
毎日2、3時間あれやこれやいじくって、 結局、つながるのに3日かかった。
このマシンは、定年後、身を持て余していた私の最高の相手になってくれた。
Gateway2000 P5-100に付属のソフト(CD-ROM)はすべて英語だった。
Windowsは英語だったものを、輸入業者のおテラバイツが日本語版Windows3.0にインストールし直してくれた。
というのは、1990年にIBMが DOS/V(IBM DOS J4.0/V)を発表し、
ハードウエアはそのままで、ソフトだけで日本語化することが出来るようになったからだ。
1991年には日本マイクロソフトも追随し、ようやく日本語で動かす環境が整い始めた。
当時、国産各社は独自の日本語化を推進し、日本には統一規格がなかった。
アメリカから黒船の大群が押し寄せたてきたのだ。
私がこのマシンで使うことが出来たソフトは、会社で経験があったWordPerfectに Lotus123くらいだったと思う。
ほとんどの時間は「パソコン通信」に費やした。
しかし、使い始めてからしばらくしてトラブルに見舞われた。
これは私にとって一大事だった。周囲に相談相手がいないのだ。
助けてくれる人がいないのだ。
空き缶を叩くような音がひっきりなしに出始めた。
モニターのスクリーンが真っ黒になり、すべてが停止した。
すぐ輸入元に電話し、返送することになった。
1週間くらいして戻ってきた。 幸い、ファイルは新しいハードディスクに移してくれて、すべて無事だった。
トラブルの原因は、ハードディスクの破損。
ハードディスクが壊れるものだということを、このとき初めて知った。
会社にいたときには、自分のマシンがフリーズしたり、アプリケーションの使い方が わからなくなったときは、システム部に電話すれば、若い技術者がすぐ駆け付けてくれて、すべて解決してくれた。
1998年代後半になると、会社内のすべてのマシンがDOSからWindowsに変わっていた。
DOSのコマンド時代は終わり WYSIWYGの時代が始まっていた。
とは云っても、当時のマシンははなはだ安定性を欠き、すぐフリーズした。
部品に「相性」があることも、このとき知った。
というわけで、退職後は家でマシンがトラブルと、すべては自力で解決しなければならない。
まわりには相談相手が誰もいない。
Microsoft Certified Professional Guide Windowsという分厚い本を読み始めた。
しかし、それでは目前にフリーズしているマシンをすぐ直すことはできない。
結局、もと働いていた会社に電話して、システム部の技術者の援助を仰ぐことになった。
やれやれ。
この経験で分かったことは、定年後に初めてPCを買った人にとっては、ひとたび故障が起きたり、使い方がわからなくなったときに、どうしたら解決できるか、ということが最大の問題になる。
解説書を買ってきて、読んで解決できれば上々。
今では製造販売した会社の サポートセンターに電話して解決する方法が一般的になってきた。が、そのサポセンに電話がつながらないという苦情をよく耳にする。
それがだめな時はどうするか。
在籍したもとの会社に電話して、PCの知識に長けた友人、あるいは後輩にトラブルの相談に乗ってもらうことが出来る人が、はたして何人いるだろうか。
会社のシステム部に電話して相談する、なんてことができるだろうか。
それにシステム部がある会社なんて、そう多くはなかっただろう。
PCとインターネットの楽しさを、同世代の人たちに、あたかもエバンジェリストのように説いても、反応がない理由は、その人にまったく興味がないか、上に挙げたような話を聞いて不安になる、ということが考えられる。
私の同年輩(1930年代生まれ)では、企業にいるときにPCの恩恵にあずかった人たちは本当に少数派なのだ。
後期高齢者どころか、つい先日定年退職した人たちもほとんどは、
「デジタルデバイド」なのだ。
キーボードに触るのも面倒くさいという人もいる。
過去に仕事でPCに触れたことがない人にとっては、自分の日常生活にはまったく必要がないと 思い込んでいる。
なぜ大金を出してまで、苦労の種を買わなければならないのか、理解できない。
エバンジェリストの云うことは、まったく余計なお世話なのである。
これは仕方がないことだ。人は100人100様なのだから。
私のPC自作は、ここから始まった。