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80歳を越えた。身体が動かなくってきた。しかし思いは自由に羽ばたく。世界を駆け巡る。

Kindle Fireの実力

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 ニューヨークタイムズのデイビッド・ポウグ記者の11月13日付けの記事Kindle Fireのreview(使用感想記)に眼を惹かれました。

November 13, 2011 Fire Aside, Other Kindles Also Shine

私は今、自分の生活に適したタブレットみたいなものを探していますので、このKindle Fireには興味がありました。
その理由は主に2点あります。iPadとの性能の比較。もう一つは値段が安いこと。

ポウグ記者の感想は厳しい。要旨は次のようなものです。

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 Googleのアンドロイドで動く7インチの黒光りのタブレットは、類似のタブレットから推測できるようなものではない。ホームスクリーンのデザインは木目調の本棚のようだ。スクロールすると、eブック、音楽アルバム、テレビ、映画、PDFドキュメント、アプリ、それにウエブのブックマークなどのアイコンが並んでいる。これを見る限り、「これはすごい!」とあなたの心臓は期待に打ち震える。「これは200ドルで買えるiPadだよ!」。
しかし、それは危ない比較だ。

 Fireは実際のタブレットとは違い、多機能ではない。これはAmazonから購入したもの、たとえば、本、新聞、ビデオなどのためだけに作られたもの(アマゾン専用機-私の解釈)といっていいだろう。カメラ、マイク、GPS機能、ブルートゥース、メモリーカードスロットさえもついていない。e-mailはあるがカレンダーやノートパッドはない。

 一番問題なのは、これにはiPadのようなスピードも洗練されたアプリもない。動きは鈍く、指での操作もイライラする。アニメの動きはカクカクする(sluggish and jerky)。ページをめくるたびに、キンドルの製作チームのプライドまで心配することになる。通信回線へは時々つながらないし、接続までの砂時計さえ表示されない。だから使う身になると、本当に接続中なのかどうか、心配になることがしばしばある。イライラさせられて不愉快だ。

 批評はまだ続きます。ダウンロードした画面の表現、雑誌、子供向け絵本との相性、など詳細に報告しています。さらにe-reader(電子書籍を読むためのもの)として購入する人には、大きな決断を強いられることになる、とまで言っています。


 Amazon以外から書籍を購入しようとすると、各社まちまちのフォーマットの違いに直面する。(これは現在の日本の事情と同じだ。) ニューヨークタイムズのダウンロードに10秒、eBayでは17秒、Amazonは8秒かかる。これでは購入者は喜ばない。ちなみにiPadでは、それぞれのサイトからのダウンロード所要時間は半分だった。
もし、あなたがe-readerで本を読むのが目的なら、それは今までに発売された数種類のKindle(e-インクを使った白黒画面のもの)を選ぶべきだ。わかりきったことだ。(no-brainer)。

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引用はここまで。

 

これで、私のKindle Fireへの興味はなくなりました。

 私はこれまで、過去になかった新しいものに興味を抱き続けてきました。懐が許せばそれを買ってきました。early adopter(先物食い)- trendsetter(トレンドセッター)の意味もある- の性格が後押ししていますが。
どこかの製紙会社のバカ息子がバクチに使った金額に比べれば、私の買い物なんか、鼻くそみたいなものです。


 e-readerについて言えば、何しろこのキカイには約一千冊の本が入るというのです。私の本棚なんか、雲散霧消します。そのうち本棚なんか必要ない時代がやってくるかもしれません。
 しかし、中には買い集めた本の背表紙を眺めて、一人悦に入る趣味の人もいますから、この世の中からすべての本棚がなくなることはないでしょう。


 先日、テレビで司馬遼太郎記念館の中を見ました。あの安藤忠雄氏が設計した建物です。館内の壁面いっぱいに高い天井まで届く本棚に、整然と並べられた蔵書を見て圧倒されました。次の瞬間、司馬遼太郎は、これらの数万冊の本の中から、どうやって目的の情報を探しだすことが出来たのか。不思議でなりませんでした。

 

 買ってきて読んだ本は、すべてそのまま本棚に置いたのでしょうか。生前の彼の書斎の中を見たわけではありませんから、本がどのように整理されていたのか知りませんが。例えば、「あれが書いてあった本はどこだっけ」と探すことはなかったのでしょうか。私は自分のわずかな数の本棚でも、求める情報がある本を探し出せないことがあったので、心配にななりました。

 どうやって目的の本を探し当てるのか、この疑問は、ひとり司馬遼太郎の蔵書に限らず、立花隆氏のように一万冊を超えるような本を持つ有名無名のひとたちに聞いてみたいですね。


 今のような便利な記事検索の手段がない時代に、あれだけの質と量の著作を物にしたのだからすごい。その手間を考えただけでも、脱帽どころか、地にひれ伏すような尊敬の念を覚えます。

 PCを使うようになってから、例えば英語の文章を読んでいるときに、知らない単語を引くために分厚くて重い辞典を机上に運んできて調べる、ということはしなくなりました。
すべてPCのオンライン辞書を使います。Desk Top上ですべてことができます。

 IT関連のように、日々新語が生まれる分野の単語には、従来の紙の辞書は対応できません。New York Timesを読むときでも、新しい表現やスラングによくぶつかります。これらには従来の辞書はまったく役に立ちません。オンライン辞書なら、例えばALCなどは、新しい表現も収録しています。Gooもあります。他にも研究社のサイトもあります。いよいよとなれば、Websterの出番です。これにはスラングもあるから便利です。Web Dictionary はWisdom of Crowdの一部です。

 

 日本橋丸善で、生まれて初めて英語の原書を買ったときのことは、忘れることができません。

布表紙から放たれる得も言われぬあの匂い、そしてページをめくるときの分厚い紙の感触。それがフランス綴じだったら、ペーパーナイフで、袋になったページを切り開いていくあのよろこび。それは体験しなければわからないと思います。その本は、一生手放すことはできないと思います。

 しかし、ペーパーバックには未練はないですね。これは中身が勝負です。ペリカン文庫を買い集めたことがありますが、あれもならべると壮観でした。
そして問題は文字の大きさです。前にも書きましたが、最近は文庫本の文字は読むのがつらくて、頭が痛くなります。そこで、e-bookの効用が発揮されます。
実際に使ってみなければ分からないことだらけですが、ちょっと手に取ってみたいと思いました。e-bookで本棚がなくなれば、狭い我が家に少しはスペースができて、家内は喜ぶでしょう。