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80歳を越えた。身体が動かなくってきた。しかし思いは自由に羽ばたく。世界を駆け巡る。

12月8日は「大詔奉戴日」だった

12月8日は太平洋線戦争開始から71年目だった。
この戦争による日本人の死者の数は、軍人が230万人、一般人が80万人に上る。

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天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米國英國ニ対シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ
朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ
億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
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1941年12月8日、天皇はこの文言から始まる文書(詔勅)を発表し、アメリカ、イギリスに対して宣戦を布告した。それ以来、軍部の命令で、毎年12月8日は特別な国民運動の日となった。

私たち小学生は、何もわからないままこの文章を暗記、暗唱させられた。
思い出すのも嫌な、国旗掲揚君が代の合唱、宮城遥拝(天皇の住居に向かって最敬礼すること)、詔勅・勅語を声を出して朗読することに加え、学校では御真影天皇の写真)に最敬礼するなどが強制された。
こうやって書いていくと、まるで北朝鮮のようだ。そっくりだ。

 

日本政府の宣戦布告通達が遅れ、アメリカがいう「だまし討ち」の真珠湾攻撃が、その発端だ。

私が小学校2年生のときだからよく覚えている。
国民は日の丸を振って欣喜雀躍した。しかし、日本はこの日から暗黒の時代へと坂を転がり落ちていく。「大本営発表」という軍部の戦況発表は毎日勝利一色で、国民の誰もがこの戦争に負けるなどということは考えもしなかった。戦争後期になり、日本軍の敗色が濃くなっても、大本営発表は「勝利」を伝え続けた。

 

敗戦後、いろいろな人たちがその反省記を書いている。
「一億総ざんげ」などという言葉が流行った。しかし、一市民にどうして責任があるのか。そのころすでに中学生だった私には納得いかなかった。
最高権力者である天皇をはじめ、当時の軍部の最高幹部たちなど戦争を始めた人たちが、すべての責任をとるべきだろう、と思った。

今は、選挙のまっただ中。この時期は私が日頃、顔を見るだけで同じ日本人であることがいやになる政治家のことを、考えなければならない憂鬱な日々が続く。

選挙に多くの人が立候補するのは、民主国家らしくて、よいことだ。
しかし、前提がある。選ぶ側に健全な目があるかどうか。私利私欲のためだけの候補と、本当に私欲を忘れて国の為に働く候補の違いを見抜く目を備えているか。そういう私は、今回の選挙には困った。投票したい人がいないのだ。

若くて自分の身をなげうってでも、国家国民のために立候補したという青年が私の選挙区にはいないのだよ。

 

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