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80歳を越えた。身体が動かなくってきた。しかし思いは自由に羽ばたく。世界を駆け巡る。

PC 自作史 再録

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この投稿は、「はてなブログ」に引っ越してくるときに誤って消してしまったので、改めて再投稿させていただきました。

 


PC自作史

DATE: 09/03/2011 06:14:33 PM
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 自分のPC自作史を書こうと、過去に購入した部品のメモ類を探したが、見つからない。あっても、一部だけだった。

整理整頓がちゃんとできていない。

 

仕方がないので、CPUの使用歴を書くことから始めようと思う。

CPUがわかれば、おのずからマザーボード(chip set)、グラフィックカード、メモリー、ハードディスクやケースなどを、糸を手繰り寄せるように思い出せるかもしれない。

 

私がこれまで使ってきたCPUは、IntelAMDだ。そこで、メーカーのIntelAMDのホームページから引用することにした。

それでも詳細が分からないところは、Wikipediaから引用することにした。

 

使用したCPU

1994年: Pentium P-5

このCPUについては市場を騒がせた大きな事件があった。私もその被害者の一人で、CPUを交換した。

全数リコールについて  (Wikipedia から引用)1994年11月に、P5 Pentium及びP54C Pentium浮動小数点除算命令にバグがある事がインターネットを通じて報告された。その後日本でも新聞や一般誌によって大々的に報道され、パソコンを持っていない人にもこのバグが広く知られることとなった。インテルは当初バグの発生は演算処理のループでは90億回に1回、表計算ソフトを使った場合27000年に1回であるなどとし、この問題は深刻ではないとしたが、紆余曲折を経て、同年12月20日には全数リコールに至った。リコールにかかった費用は膨大なものであったが、ボックス包装されたバグ対策済みPentiumがリリースされた事が広く報道された。

 

1999年: Pentium Ⅱ 450MHz

このCPUは、アキバのショップブランドのPCを初めて購入したものに装着してあった。というより、このCPUが搭載してあるPCを買った。

購入店名: フリーウエイ

商品名: ViP 6450/GX-FAIR2 M3063B

CPU: Pentium 2  450MHz 512KB

HDD: DTTA-371010(10GB 7200回転

ケース: VIP ATX ケース

Motherboard GXR/150/WS

VIDEO: Viper V550 16MB AGP バルク

FDD(floppy): 2モード DF354N901C

CD-ROM: XM*6302B(ATAPI 32倍)

電源: SBLIVE,V バルク

メモリ: SD-RAM 125MB PC100 CL2

OS: J-Win98SR1

保証期間: 1999年1月13日から2000年1月19日まで

支払金額: ¥260,539.-

 

2001年: Pentium 4  1.80GHz

下のデータはWikipediaから引用した。

生産時期 2000年まで

CPU周波数 1.3 GHz から 3.8 GHz

FSB周波数 400 MHz から 1066 MHz

プロセスルール180nm から 65nm

命令セット x86, x64マイクロアーキテクチャ

NetBurstコア数 1

ソケットSocket 423 Socket 478 LGA 775

コードネーム Willamette Northwood Prescott Cedar Mill

 

2008年10月: Athlon_64_X2 AMD Athlon X2 5200 (Dual Core、コアが2個) 

このCPUとマザーボード,それにメモリーをセットにして、次男が私の誕生日にプレゼントしてくれた。

いわく「お父さんのPCでの作業には、ハイスペックのものはいらないと判断した。AMDはコストパーフォーマンスに優れているから、一度使ってみたら」。

確かに、私の普段の作業内容は、Web、Office, それにテレビ番組の録画と、それをBlu-rayに焼くことぐらいが主なものだ。BDを焼くこと以外、ほとんどはsingle coreのCPUでも十分間に合うかもしれない。

これまでIntelしか使ったことがない私にはAMDは初めてで、いささか不安があったが、とにかく組み立ててみた。結果はこれで充分だった。なんの不満もなかった。

居間用のPCとして現在使用中。

 

2009年:AMD Athlon II X4 640 (Quad Core、4コア)

メインマシンとして現在使用中。

以上、これまで私が使ってきたCPUを振り返ってきたが、こうしてみると、特に高速なCPUは使っていない。

初めて買ったGatewayマシンで懲りたのかもしれない。羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)だ。

そして70歳までやっていたSOHO(small office home office-在宅での仕事)には、高性能CPUとハイスペック・マシンは必要ないことが、分かった。メール、インターネットなど主にWebを使うのが目的なら、これからは、いわゆるスレートPC(iPadなど)や、モバイル製品に代わる可能性がある。私自身は、文字入力がもっと使いやすくならないと使う気にはなれないが。

しかし、CPUの処理能力の進化はすさまじい。高速なCPUを求める人がいる限り、進歩は止まらない。

ムーアの法則」といわれるものがある。

これについてIT用語辞典 e-Wordsは、次のように言っている。

世界最大の半導体メーカーIntel社の創設者の一人であるGordon Moore博士が1965年に経験則として提唱した「半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する」という説。

これによれば、半導体の性能は指数関数的に向上していくことになる。実際には、集積密度の向上ペースはこれより鈍化しているが、「集積密度」を「性能向上」に置き換えて考えると、この法則は現在でも成立しているとされ、今後の半導体の性能向上を予測する際の指標として広く用いられている。このことから、この法則を「半導体の性能向上は…」と表現する例もある。ただし、ムーアの法則半導体の微細加工技術の発展を根拠としているため、2010年代には微細化が原子レベルにまで到達してしまい、ムーアの法則は通用しなくなると予想されている。

メーカーの研究開発費用の増大から、この説はもはや通用しないとも言われている。


しかし、市場には毎年のように集積度を飛躍的に高めた新しいCPUが登場している。 

私はゲームはやらないし、CGは制作しない。CPUに大きな負荷がかかる作業ももちろんしない。

クリックして、次の画面に移るのが遅ければ、待つだけだ。時間はたっぷりある。したがって、特に高速なマシンは必要ない。それよりも、man machine interface(ユーザーインターフェイス)の進化が望ましい、というより切望している。

キーボード、音声認識、ウエアラブルコンピューティングなど、大分使いやすく(user friendly)なってきたものの、満足のいくものはまだない。

私が望むのは、頭で考えたこと(文章、絵画、音楽など)をそのままモニターに表示し、文書化、あるいは演奏してくれるレベルのものだ。

歳をとると、まずキーボードが面倒くさい。キーボードを叩いているうちに、頭で考えている文章を忘れてしまう。私にとってはキーボード入力は、考える速度に比べて遅すぎる。操作が下手だからだよ、と言われれば、それまで。これでもタイプライター時代から、キーボードは使っているから、同年代の人に比べれば、少しは早いほうだろう。言いたいのは、もっとユーザーフレンドリー(使用者の思うままに使える)な道具がないものか、ということなのである。

音声入力はどうかといわれるが、これはまだ実用の段階にはない。第一、年寄りが大きな声でPCに向かって独り言をいっていたら、認知症と間違えられる。

 

私の考える一つのsolution(ソリューション・解決策、IT業界の人が好んで使う言葉だね)頭にセンサー(ヘッドフォンみたいなもの)を取り付けて、脳波を取り出す方法はどうだろう。言語信号を認識するぐらいはすぐ実用化できないか。医学界ではすでに脳波を取り出して、医療に役立てているのだから。

 

自分のCPU使用歴を見て、まず感じたのは、特別に高速なCPUばかりではない。最初にアメリカから取り寄せたGateway 2000は別にして。第一、最先端のCPUを買うにはベラボウなお金がかかる。年齢相応にゆっくり、無理せず生きてゆこうじゃないか。

 

さて、思い出せないCPUはそのままにしておいて、次にこれを載せたmother board(main board)に移ろう。しかし、アメリカ人は、やはり女性尊重の国だな。機械の主要部品にmotherと名づけるなんて。これがfather boardでは、収まりがつかない。一番大切な安定性に欠ける。やはりmotherなんだな。大地のイメージがある。何しろ日本語では「主基板」だ。マックでは「ロジックボード」という。

これも資料が欠如して、すべてを思いだすことはできない。手元に残っていたマニュアルから、基本的なデータを書き出してみる。

最初のGateway2000のマザーボードが何であったかわからない。冒頭の写真から推察するにIntel製だろう。

1999年: FW-6400GXR/150/WS  Freeway 発売のショップブランドPCに搭載してあった。

2000年: ASUS CUSL2

Chipsets: Intel 815E  Socket 370 for Pentium III

これにはグラフィック・コントローラーが載っていた。これはとても便利で、それまでは必ず必要だったグラフィックボードが要らなくなった。ゲームや動画編集をやる人には、これでは性能不足だから、グラフィックボードを買っていた。

2003年: ASUS P4PE

Chipsets: Intel 82845PE MCH, 82801DA, Socket 478 for Pentium 4

 2004年: ASUS P3P800-E Chipsets Intel 865PE,

ICH5R, Socket 478 for Pentium 4

2008年:GIGABYTE GA-MA78G-DS3H

Chipset: AMD 780G, SB700, Socket AM2+

これにはグラフィック・コントローラーが載っている。現在メインマシンとして、私のデスクの上にある。 

2009年:GIGABYTE GA-MA69G-S3H, Chupset: 690G, SB600

これにはグラフィック・コントローラーが載っている。現在、居間で主に家内が使用している。

Motherboardは、まことに名前の通り、PC全体の性能を左右する根幹的な部品だ。

このPCケース(Windy)も、そろそろ10年になるかな。

今年を振り返る(2) ーPCが壊れた (再録)

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DATE: 12/17/2014 03:06:42 PM  MicroATXマザーボードなのでケース内部はガラガラです

*これは昨年の投稿ですが、引っ越しの時に私の不手際で消えてしまいました。再度ここに投稿させていただきます。

 


 20013年1月に組んだPCが壊れてしまいました。今年の10月のことでした。

Intel Core i5が焼けてしまったのです。おそらくはCPUのクーラーファンが壊れて送風を停止し、高熱でCPU内部が溶けてしまったのでしょう。マザーボードASUS P8Z77-Vの警告音も鳴りませんでした。Intelは5年保証だったので、買ったツクモ経由でインテルに交換を求め、1週間後に戻ってきました。

原因は結局わかませんでした。CPUファンが壊れたのは、製造工程の問題だと思います。

しかし、マザーボードに欠陥があった可能性も否定できません。

給電側に何らかの故障が生じたことも考えられます。インテルからも、ツクモからも原因についての説明はありませんでした。

 

 戻ってきたCore i5をソケットに差し込むときに、向きを誤ってしまい、ソケットピンを潰してしうという大ミスをやってしまいました。愚かさ極まれり。深刻な老化現象です。

 すぐ、ツクモと相談して代わりのマザーボードを買うことにしました。
ところがここでも問題が起きました。

 

 今やソケットLGA 1155を載せたマザーボードは少なくなり、時代はLGA 1150ソケットのHaswell 世代へと代わっていたのです。

ツクモの電話相談相手は、LGA1155を載せたマザーボードをまた買うという私の希望を聞いて、いまさらこのCPUを使い続けるよりもHaswellにしたほうが将来性があるから、LGA1150にしたほうが良いんじゃないかという意見でした。

そうかもしれない、しかし私はもうしばらくこのIvyBridgeを使い続けたいと言いました。すると相手は短期的に使うなら高額のチップセットを載せたマザーボードではなく、このひとクラス下のチップセットを使うのも良いのではないかと提案してくれました。

 彼が薦めてくれたのは、GIGABYTEのB75M-D3HというMicroATXマザーボードでした。これは値段も安くて、7千円でした。相談した相手は、しきりにチップセットのB75はZ-77より下位であることに私の理解を求めていました。それは承知之助です。

このチップセットでもUSB3.0は付いているし、処理速度を除けばこれでいいんじゃないかと思いました。そして、これを買うことにしました。

 

 組み上げたPCは、私の用途でほとんど不自由はありません。

負担のかかることはしないので、以前のマザーボードと変わりありません。遅いと感ずることはありますが、それがインターネット回線のADSLによるものなのか、別の原因なのかわかりません。

 

 この事件で、PCの組み立てが面倒になってきました。

しかし、Windows 10と新しいCPUが出てくると、また心が動くことになるかもしれません。技術屋の息子は、安くて速いLaptopがでているのだから、そろそろ変えてみたらと老人をいたわる言葉をかけてくれます。


 今年8月に、IntelはHaswell-Eの最上位となる8コアモデル「Core i7-5960X」を売り出しました。このCPUはプロ相手の将棋戦で勝ったあのロボットに載せていたものです。

 

引っ越して来ました


 

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上のイラストは「クロネコヤマト」からお借りしました

 これまでのブログが、いろいろな操作が煩雑で手に負えなくなりました。
使いやすくて、画面がきれいなものを探しているうちに、この「はてな」に行き当たりました。

すべてを使いこなせるかどうか不安ですが、ブログは見た目もさることながら、やはり内容ですから、新しい場所でみなさんに読んでいただけるものを書きたいと思います。

どうぞよろしく。

 

大晦日に今年を振り返る。

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正面に見えるのは初島  通院している歯科から見える景色です 


 1月。ある老人ホームから突然電話があり、母を受け入れてくれることになりました。

申し込んでから何年経ったか忘れるほど永い間待ちました。
母の生まれ故郷であり、何よりも当人が希望していた温泉に入れる施設でした。
当人は102歳になり、もはや介助なしには生活できません。
痴呆症も進んできました。
私ども家族にとっての永年の最大課題が、やっと一つ解決しました。
 
 

 4月。私ごとですが、思い切って白内障の手術を受けて、明るい視界と色彩を与えられました。
世界が全く変わりました。
これで十年来悩んでいる頭重が治るかもしれないと、淡い期待をしましたが、それは叶いませんでした。
 

 8月。一昨年に我が家の改修をした時に世話になった1級建築士から強く薦められて、歯の咬合を治す歯科医を紹介されました。
彼の妻が10年以上前から続いていたひどい偏頭痛が、その医師の治療で完治したというのです。
だまされたと思って行けという、彼の強い言葉に背中を押されて、車で片道1時間弱かかるその医院まで通うことにしました。
まだ自覚できる効果は現れていませんが、藁をもつかむ思いにかられて通っています。
数カ月後にどうなるか楽しみです。
 

 暮れも押し詰まって、忘年会で楽しい時間を過ごしましたが、その晩から食中毒症状になってしまいました。
翌日と翌々日の二日間は高熱にうなされて、何も食べられません。
水分を取るのもやっと。
3日目にようやく熱が下がり、僅かな量の食事を取りました。
医者にも行けず、ひたすら耐えました。数日後にやっと家庭医に行きました。
体調が悪い時に胃腸に負担をかけたのでしょう、という診断で出す薬はないと言われました。

 今年は、慌ただしい一年でした。季節の変化にも気づかないほどでした。

今年を振り返る (1)

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上のイラストは「みんなの介護」からお借りしました


 102歳の母が、今年はじめに老人ホームに入ることができました。
十箇所近くの施設に申し込み、何年も待ちましたが、それぞれの施設の待機人数が何百人なんていわれると、あきらめざるを得なくなります。
毎年、そんな思いにさせられてきたのですが、ある日突然、施設から電話がありました。
入居できることになったので、本人の診察に行くという知らせでした。
とてつもなく幸運なことです。信じられないような思いでした。
 
 本人が強く望んでいた生まれ育った土地の施設に入れることなんて、夢のまた夢。
それが叶ったことを、母とともに感謝しなければなりません。
金持ちなら、いつでもどこでも希望の施設に入ることができます。この世は金次第だ、ということはこの事については真実です。
 
 私のような普通のサラリーマンだった人間にとっては、老人の介護と自分の生活を両立させることは、想像以上に難しいことです。

 いろいろなメディアで取り上げられ、論じられていても、それが自分のことになるとは考えても見ませんでした。なってみなければわかりません。

 お金のことをいうならば、若い時にああすればよかった、こうすればよかった、という今更ながらの反省と後悔の念にさいなまれます。しかし、誰もが若い時から老後の生活を想像できるわけではありません。
貯金に励むことができる人は、何らかの面で家庭を犠牲にしないとできないことだと思います。人付き合いもある。子供の学費もある。将来の住宅プランもあります。趣味を犠牲にできる人はえらい。
 

 サラリーマンでも、親の遺産がある人は幸運です。
私のように、お金も土地も遺産もない場合は、相当辛いことになります。
親はそれなりの良い生活をしていたので、まさか貯金がないなんて思いもしませんでした。
 ローンで家を建てて、その支払を定年までに払い終わらず、結局、退職金で精算した場合は、手元に残るものはたかが知れています。運悪く買った時がバブルの最盛期で、地価もべらぼうでした。
土地だけでも親譲りのものがあれば助かったのですが、そうは行きませんでした。人生は絵に描くほど甘くはありません。
 

 さて、年末宝くじでも買うことにしましょうか。

 

8月15日は敗戦の日

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昨日は「敗戦の日」でした。
多数の国民を犠牲にして無条件降伏し、やっと終わった太平洋戦争のことを考えない年はありません。
 戦争を知らない世代が多数を占める時代になってきた、と強く感じたのが、この日を報じるテレビの特集でした。

 それは8月15日が何の日かという問いに、視聴者の答えを世代別にまとめていました。
20/30代の人たちの25%が知っていて、残り75%が知らない。年齢が上がるほど理解している人の割合は増えますが、40代50代でもほぼ半数が知らないと答えていました。中でもその戦争の相手(敵)は何処の国かという問いには、中国とか韓国という答えがありました。
また、その戦争の味方は何処の国かという問いには、アメリカと答えた青年がいました。

この番組を作ったTV局の意図的な編集方針もあるでしょう。そして69年もの歳月がそうさせたのかもしれません。

とはいえ、戦争があったことを知らない若い人たちが多いことに、驚きと悲しみがない混ぜになりました。

 

 昨夜のテレビで、三輪明宏が「愚かな人たちに重要な判断を任せると、先の大戦のような悲惨な事になる」という趣旨のことを話していました。私は思わず膝を叩きました。


 私の世代(昭和8年生まれ)には憲法九条を守ろうと地道に日常活動を続けている人がいます。その人は地域で「九条を守る会」を主宰し、彼が発行する啓蒙紙を定期的にインターネットで届けてくれます。草の根の地味な活動がいかに大切なことか。労多くして報われることの少ない活動です。頭が下がります。

 何よりも事実を忘れないように伝え続けていくことが私の世代の責任だと、あらためて思いました。

 今の政治家のほとんどは戦争を体験していません。
父や叔父や、息子や兄弟を戦争で殺された人たちの悲嘆を知りません。空襲で焼け出されたり、爆撃で大勢の家族を失った人たちの悲しみと絶望感は知るよしもありません。食べ物がなくてひもじい思いをするとはどんなことか。知らないでしょう。

 

やがて選挙の日がやってきます。

愚かな政治家は愚かな選挙民が選ぶ。


空はつながっている

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 6月23日、沖縄県糸満市平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が開かれました。
同県石垣市立真喜良小3年の増田健琉(たける)君(8)が、
「空はつながっている」と題した自作の詩を読み上げました。

空はつながっている

石垣市立真喜良小学校3年 増田健琉(たける)

ぼくのお気に入りの場所
みどり色のしばふに ごろんとねころぶと
そよそよとふく風がぼくをやさしくなでる
遠くでひびくアカショウビンの鳴き声
目の前ではお母さんやぎがやさしい目で
子やぎたちを見まもっている
青あおと広がるやさしい空
でも 遠くの空の下では
今でもせんそうをしている国があるんだって
ばくだんが次つぎとおとされ
なきさけびにげまわる人たち
学校にも行けない
友だちにも会えない
家族もばらばら
はい色のかなしい空
空はつながっているのに
どうしてかな
どこまでが平和で
どこからがせんそうなんだろう
どうしたら
せんそうのない
どこまでも続く青い空になれるのかな
せんそうは国と国のけんか
ぼくがお兄ちゃんと仲良くして
友だちみんなともきょう力して
お父さんとお母さんの言う事をきいて
先生の教えをしっかりまもる
そうしたら
せんそうがなくなるのかな
えがおとえがおが
遠くの空までつながるのかな
やさしい気もちが
平和の心が
丸い地球を
ぐるっと一周できるかな
まだ子どものぼく
いのる事しかできない
どうか
せかい中の子どもたちみんなが
学校に行けますように
友だちとあそべますように
にこにこわらって
家族でごはんが食べれますように
夜になったら
すてきなゆめが見れますように
しあわせでありますように
いつか友だちになれますように
白い雲
ぼくの平和のねがいをのせて
この地球をぐるっとまわって
青い空にそめてきて
きっと
せかいは手をつなぎ合える
青い空の下で話し合える
えがおとえがおでわかり合える
思いやりの心でつうじ合える
分け合う心でいたわり合える
平和をねがう心で地球はうるおえる
だから
ここに
こんなにきれいな花がさくんだ
だから
こんなに
ぼくの上に
青い空が広がっているんだ