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80歳を越えた。身体が動かなくってきた。しかし思いは自由に羽ばたく。世界を駆け巡る。

真夏の夜の夢

 

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私は四六時中頭痛に悩まされ、歩くとふらふらする。
だから積極的に外出しようとする気持ちになれない。
昼間はほとんど音楽を聞きながら横になっている。
無気力になってしまう。他人からは、怠惰な人間としか見えない。
働かないし運動もろくにしないのに、食べることは人並だから、
お腹は、たぬきのようにふくらんできた。
こんな生活を終末まで送るのかと考え始めたら、自己嫌悪に陥る。

7月14日の朝刊を読んでいたら、「天声人語」にこんなことが書いてあった。
一部を引用する。
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 体が引き締まり、日に焼け、すこぶる元気そうである。
すこし前に退職した会社の先輩と先日偶然会い、立ち話をした。
日々の暮らしぶりを楽しげに語ったが、そこには秘訣があるらしい。
 「キョウヨウ」と「キョウイク」なのだという。
教養と教育かと思いきや、さにあらず。
「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つである。
なるほど何も用事がなく、どこにも行かない毎日では張り合いがあるまい。
かっての同僚から聞かされて実践しているという。

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 「キョウヨウ」と「キョウイク」か。
そうしたいけど、頭痛でそれができないから困っているんだよ。
頭痛がひどくて外出どころではないよ。
外出ができるなら、一日中家に引きこもっているはずが無いじゃないか。
元気なら、毎日でも出かけて親しい友人と東京会館のメインバーで、いっぱいやるよ。
我々に残された時間は少ない。

ともに過ごしたあの光輝く、山のような思い出を、語り尽くそうじゃないか。 
今はいない良き先輩や友人の思い出を。
そして友人たちと一緒に過ごした君の伊豆高原の別荘での所業の数々を。

 仕事が終わる頃、私の机の上の電話が鳴る。
「これから行くぞ」という君の声は、会社のビルの前に止めた車の中からだ。
私はいそいそと駆けつける。
そこから東京會舘はほんの数分だ。
一歩、メインバーに足を踏み入れると、そこは別世界だ。
重厚なカウンターの背後に並ぶ世界の銘酒を照らす照明だけが明るく、あとは暗すぎず、疲れた脳を癒す適度の明るさに包まれている。
客はまだまばらだ。
常連の爺さんがカウンターのはずれにいつものように陣取っていて、バーテン相手に他愛もないことを言っている。
後日知ったのだが、その人は三菱の創業者、岩崎弥太郎の孫だった。
私と友人の一日はそこから始まる。


 思い出は夏の積乱雲のように湧き上がり、尽きることを知らない。
輝くような白い入道雲と青空の夏、そして紅葉に包まれた秋、雪が舞い落ちる静かで内省的な冬。
そして生きとし生けるものに、新たな躍動の生気を与える春。
どの季節をとっても、思い出が無い季節は無い。


 あーあ、なんとかあの頃の、透き通った脳みそが戻ってこないものか。
私に残された時間は、だんだん少なくなってきた。
お互いに喋れるうちに大いに語り尽くそうよ。心残りなく。
ポール・ニューマンの話もしたいね。
本多俊夫さんと、アンリ菅野さんを思い出すと、胸が熱くなる。
急がないと、私は先に逝ってしまうよ。

 年をとるということは、決して老いるということと同じではない、といった人を思い出した。
いまから20数年前に、夢中で読みふけった「青春」という詩を書いたサムエル・ウルマンだ。

自分を鼓舞するために、ここに改めて書き出したいと思う。

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青春 (Youth)

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。

薔薇の眼差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、脅威に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心。
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、二十歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にして已む。

訳 作山宗久
角川文庫 10057